昨年10月から、私の仕事が新しい部署になって、新人研修の日々が続き気持ちに余裕がなかった。
12月初旬にようやく合格して、ひよこアドヴァイザーの誕生。
日々がドキドキの連続だが、時給は大幅にアップ。評価されたと感じ、収入が増えたのもうれしい。
64歳で、何の資格も生かさずに、全国から架かってくるスマホ初心者に、使い方を教えるだけ、
それだけで、1550円の時給はすばらしいと思う。
夫も、食事・運動・訪問介護の療法士のスパルタリハビリ・仕事、を熱心に行って、数値は良好だ。
今月末に、ようやく私がまとまった有給休暇をもらえたので、4か月ぶりの伊豆を楽しむ予定だ。
発症から半年が過ぎた。あと半年無事に過ごせれば、再発のパーセントはやや下がる。
だが、新たな問題が発生。まだら認知症、MCIの疑いに気づいた。
朝晩の血圧・血糖値の管理を、アイパッドを使ってエクセルの数式計算を利用し、記録している、
仕事も週2日の復活から様子を見ていただろう関係者が、大丈夫、と判断し、9月から3日になった。
こんな高度なことが出来るのだから、と見逃しがちだが、
いつものバス亭がわからない、伊豆のマンションのエレベーターボタンの押し方がわからない、
昨日あった3つのイベントのうち、1つの記憶が抜けている、などに気づいた私は、
すぐさまケアマネに相談。横浜市総合医療センターの本格的な検査を予約した。
あさって、一日がかりの検査に行ってくる。
放置すれば5年後には50%の人が本物の認知症になるそうだが、
早期治療が可能であれば、10~15年発症を遅らせることができるのだそうだ。
可能であることを心から願っている。
4月26日、当初の予定の半分、1ヶ月半でめでたく退院した我が夫。
要介護1のリハビリ計画も順調に日程や場所が決まり、社会復帰に向けての自主リハにも余念がない。
左腕の進化は7割以上と思えるが、左足はまだ5割とは言えない状態。
器具を着けての歩行訓練も、長時間にわたると辛そうだ。
現在は公共交通機関の単独利用ができるかどうか、が一番の問題である。
傾斜、階段も困難の原因となる。
エスカレーターはほぼクリア、ただ直後にぴったりと他人が乗っていたら、その人は降りた途端に、
『ノロくて迷惑な人!』と思うだろうが。(今は私が付き添い、ガードしているので問題なし)
以前に、横浜のデパートのエスカレーターで、夫の前を上がる中年の女性が、
ステップごとに立ち止まって躊躇しながら一歩を出すのに『ったくもうっ』と辟易とした夫だったが、
今振り返ってみれば、彼女も何らかの障害を抱えていたのかもしれない、と気づく。
人間は、その当事者にならないと気付かないことが多いのだ、と改めて感じた。
有給休暇を使い、今月前半はほぼ休み状態の私、夫の社会復帰訓練にしっかりと付き合う予定だ。
2月15日、脳梗塞発症の我が夫。経過も良く、リハビリ専門病院への転院もうまく行って、
熱心に日々の訓練をこなし、社会復帰を目指している。
不幸中の幸いで、左半身だったから、利き手の右には支障なし。
入院中に受けたデンマーク語の翻訳も、手書き原稿でこなしている。
食堂に集まるほかの患者さんで、右がダメな人は本当に大変そうだ。
パーフェクトな社会復帰は難しいと思える。
治療3ヶ月の診断だが、退院し通院リハビリに移行できるのが、いつ頃か、
によって塾の仕事再開の目途が決まる。
今はひたすら訓練の日々。
新潟もスイスも横浜も沖縄も相模原も、無事に新年を迎えた。ありがたいことだ。
わが夫の仕事は、愚かな2代目のせいで風前の灯火だが、細々と続いている。
私の仕事も、ネットワークの充実とともに風前の灯火になりつつあるが、脈々と続いている。
いつまで働いて、いつ頃から年金生活とともに老後の楽しい日々を始めるか、が二人の最近の話題である。
スイスママは驚異的な回復を得て、当分元気に長生きしそうだし、
新潟パパも年末には一度入院したが、元気になって退院し、新年を楽しんだ様子。
娘1号2号の家族もよしきさんとともに楽しい新年を迎えたようだ。
4世代がそれぞれ親密に交流を交わしている一族も、そう世間にはいないだろう。
ありがたいことだ。
ことし1年、それが更に増すことを祈るばかりだ。